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AIを使うだけでなく,作ることが日本を変える。さくらインターネットの田中邦裕氏が熱く語った基調講演の詳報[CEDEC 2025]
講演の後半で語られたAI活用による企業成長の部分については,すでにダイジェスト版でお伝えしたが,本稿はその内容も含めた詳報版として掲載する。
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「好きなこと」を続けてきた田中氏が考え方を変えた理由
田中氏がCEDECに来場するのは2回目のこと。前回(2011年)の来場理由は,さくらインターネットの石狩データセンターが「データセンターにおける省電力技術の開発と実運用」でCEDEC AWARDSを受賞したためだった。
だが,さくらインターネットのクラウドサーバーや石狩データセンターが本当の意味で花開いたのは,ここ数年のことだという。田中氏は「基盤を作るにはかなり時間がかかる」と話しながら講演を始めた。
まずは自身の生い立ちについて。田中氏は1978年生まれで,子どもの頃は体が大きいのに運動が苦手なことに悩む時期もあったようだが,それを救ってくれたのがゲームやPC,ロボット工作だったという。
小学生のときにPC-6001を親からもらった田中氏は,友人の家では「スーパーマリオブラザーズ」を遊び,自宅ではBASICでゲームを作る,という毎日を過ごした。NHKのロボットコンテストに憧れて進学先には高等専門学校(高専)を選び,実際に4回出場。自分のプログラミングや物作りを評価してもらうことが嬉しかったという。
だが,その頃から日本の経済は下り坂に。企業の生産拠点が続々と海外に移っていったこともあり,田中氏は「物作りでは生きていけないのでは」と考えるようになった。
そこで新たな救いになったのはネットワーク(インターネット)だった。高専ではCADデータの共有システムを作ったり,卒業研究として,CADデータを工作機械に転送して自動切削するシステムを構築したりしたという。こうして,「物作りとネットワーク」が田中氏の基盤となった。
そんな田中氏が起業したのは18歳,高専4年のとき。就職氷河期世代である田中氏は,当時を振り返り「社会が豊かであれば,おそらく起業はしなかったでしょう」と話したが,起業のきっかけはひょんなことだったという。
田中氏は当時,ホームページを運営するためのサーバーを学校の研究室に置いて,友人に無料で貸していた。そのうち友人の友人も……となってコンテンツが増え,それが世界中に配信される様子(ログ)を見ているだけでも面白いと感じていたそうだ。
規模が大きくなりすぎたのか,学校にばれてサーバーを閉じることになったのだが,ここでユーザーから「お金を払ってもいいからサーバーを使わせてくれ」という話があり,それが起業につながったそうだ。
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そんな経緯で始まったこともあり,田中氏は会社の経営も「自分が好きなサーバー運営をどれだけ続けられるか」という視点で考え,社長でありながら積極的にプログラムを書いていたという。
だが10年ほど前に「会社を育てよう」と一念発起し,以降はプログラムをほとんど書かなくなったとのこと。また,さらにマクロな視点で,業界団体などにも積極的に参加し,未来を見据えた人材育成プロジェクトなどにも関わるようになった。
現在は政府のAI戦略会議の構成員としても活動しており,4月には国会にAI推進法審議の参考人として招致され,原著作者の保護を訴えるなどしている。
なぜそこまで変わったのか。田中氏は「自分のサーバーを世界中の人に使ってほしいというモチベーションでやってきたが,残念ながらそれだけでは会社を続けられなかったということです」と語った。
さらに,若くて優秀な人材が素晴らしいコードを書くのを見て,自身は経営者としてやっていかないといけない,業界をいかに変えていくかを考えないといけない,という気持ちになったという。
ここで田中氏は,世の中に「変えたい人」「変えたくない人」がいることを語った。10年ほど前までは「みんな成長したいし,変化したいはず」と思っていたそうだが,そうではないことに気付いたという。
例に挙げたのがハンコ議連(日本の印章制度・文化を守る議員連盟)の活動だ。田中氏は,ハンコの文化自体は素晴らしいとしながらも,「我々にとっては,印鑑をなくしてPDFで電子契約ができた方がいい」と語り,「両方とも正義だと思いますが,デジタル化を進める人たちが声を上げなければ,デジタル化を進めたくない人の圧力に負けてしまう」と,現在の立場や活動を説明した。
そんな田中氏が率いるさくらインターネットの企業理念は「『やりたいこと』を『できる』に変える」。意志を持った人は圧力に負けず,社会を変えられるという思いが込められている。
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その変化によって目指すものは成長だ。田中氏は,今後日本の人口が減っていくことに触れ,「1億2000万が8000万になっても,1人当たりのGDPが1.5倍になれば幸せに暮らせるんだと思っています」と話した。
田中氏は,コーエーテクモホールディングス代表取締役社長の襟川陽一氏から,「成長する業界に行きなさい」「家族を大事にしなさい」「好きなことをやりなさい」と言われたことを覚えているという。
業界の成長に向けて活動していることは前述の通りだが,田中氏はそれに加えて夫婦仲がいいことや,趣味としてのプログラミングは続けていることを明かした。
さくらインターネットが大事にしているものの中には,“余白”があるという。具体的には,利益拡大よりも設備投資や賃上げ,正規雇用を積極的に推進し,新たなチャレンジがしやすい環境を整えることだ。
田中氏は,子供には大きめの服を買うのに,大人はぴったりのものを買うことに触れ,「余白をなくすことは,成長しないという意思表示」だと語った。
余白を大事にする経営は,顧客だけでなく,社員の「やりたいこと」に応えるためでもある。さくらインターネットへの転職理由として,サーバーを触りたくて入った会社で「サーバーの構築は下請けがやるから,設計だけやりなさい」と言われたから,といった理由を挙げる人は多いのだという。
外注などで効率化や最適化を進めるのではなく,「自分たちでやれる会社」「自分たちで作れる会社」を目指していると田中氏は語った。
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そんなビジネスモデルによって,さくらインターネットはその時々の時流へ柔軟に対応してきた。当初はレンタルサーバー事業を手がけていたが,それがサーバービジネス中心となり,現在はクラウドサービスに集中している。
近年でも,AIのディープラーニング需要に対応するため,2016年からGPUサーバーの提供を開始するなどしていたが,2019年から2022年あたりで,クラウドサービスに乗り遅れ,外資系会社の攻勢に苦慮するという“大失敗”をしたという。田中氏は,「僕はサーバーが好きすぎて,サーバーレスという言葉が……」と振り返り,社員からの「サーバーレスが中心になる中で,サーバーサーバー言ってるのは会社を滅ぼします」という叱責もあって方針転換したことを明かした。
いいAIを作るためには,ソフトウェア部分を指す「アルゴリズム」,学習用の「データ量」,コンピュータの処理能力を指す「計算資源」の3要素が重要になるが,日本は計算資源において,非常に恵まれた国なのだという。
その理由は,日本がGPUを自由に輸入できる国であるため。例えば,NVIDIAのGPUは中国や中東の一部国々への輸出が規制されている。また,日本政府がGPUサーバーの利用を支援するプログラムも動いている。
そんな環境を有効に使うためには,AIの利活用だけではなく開発が必要,というのが田中氏の持論だ。氏は「ゲーム業界においても,AIをAPIで使うだけではなく,自社で作って育てるのが非常に重要」と話した。
そうして紹介されたのが,講演の冒頭でも触れられた石狩データセンターだ。サーバーの熱を北海道の冷たい外気で冷やすという,シンプルな発想が基になっているが,石狩の利点はそこだけではなく,発電所との距離にもある。
データセンターは“電気食い”だけに,電力の安定供給が重要で,アメリカでは発電所とセットで建設する動きも高まっているほどだ。石狩では,液化天然ガス(LNG)を燃料とする火力発電所が2019年に稼働を開始し,2030年度には2号機,2033年度に3号機が運転開始予定。LNGの輸入元であるロシアとの距離が近いこともメリットだ。
このように,AIの発展にはワット(電力インフラ)とビット(情報インフラ)の連携が欠かせない。田中氏は,経済産業省と総務省が開催する「ワット・ビット連携官民懇談」にも参加して,双方を近づけるための提言をしているという。
田中氏は,日本各地にある工業団地の多くは,50〜60年前に作られた“良きレガシー”だと表現し,データセンターや半導体工場も50〜60年後に産業として残ることを目指し,中長期的な視点で考えるべきだとした。
実際,データセンター本体の減価償却期間は43年という長さで,そこに中短期のものを混ぜることで,即座にサービスを提供しているという。
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AIの開発と利活用で,一人一人が豊かになれる
田中氏は,AIによって近年の社会が急速に変化していることに触れつつも,そういった技術革新による激しい社会変化は昔からあったと指摘した。その例として挙げたのが,1900年ごろからの十数年で,それまで街に溢れていた馬車が姿を消し,代わりに自動車が一気に普及したことだ。
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そして現在も,AIの進化によって社会は大きく変わろうとしている。田中氏は,資金調達額などのデータから「2022年からITはへこみ始めている」と表現し,AIがIT(≒Web)に変わる成長産業になると予測した。
といっても,Webが馬車のように姿を消すわけではない。Webはインフラ,つまり“前提”の存在となって,その上に載るAIが伸びていくという。
具体的には,何か知りたいことがあったときにGoogleで検索する(Googleの検索アルゴリズムを利用する)のではなく,AIチャットに聞くといった感じだ。これは単にGoogle検索が使われなくなる話だけに留まらない。例えば,これまでWeb関連のサービスで当たり前のように使われてきたSEO(検索エンジン最適化)も,AI相手では効率が落ちてしまう。
AIは,Webにあるデータを学習することによって,その精度を高めていく。田中氏も,WebがなければAIが成り立たないことは認識しているが,これからはWebにあるものを直接ではなく,AIによって利用する社会になっていくと予想した。
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では,そんな時代にどう対応していけばいいのか。田中氏が語ったのは,日本の産業が持っているデータの価値を,自分たちが作ったAIで“かけ算”することだ。
世界にあるデータの7割以上はWebで検索できないとされているが,その中には企業内のデータも含まれている。開発などで使用するデータなどはもちろんだが,例えば日報なども重要なデータだ。そして日本企業は,こういったデータの保有量が非常に多いのだという。
そのデータをAIでより積極的に活用できれば……というわけなのだが,田中氏が“かけ算”と表現したように,生み出せる価値はAIの精度によって大きく変わってくる。“乗数1”のAIでは,データの価値は変わらないわけだ。
田中氏はより大きな価値を生み出すたために,外部のAIを利用するのではなく,自分たちのAIを作ることを推奨した。
「AIを作る」と聞くと,巨大な費用がかかりそうな印象を受ける。実際,ChatGPTのように,優れた人材と膨大なデータ量,それを処理できる計算資源によって開発された「フロンティアモデル」のAIは,日本ではとても真似できないと田中氏は話した。
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だが,田中氏は「軽量モデル」に活路を見いだしている。例えばカスタマーサポートや文章の要約と言った作業に大きなモデルは不要で,必ずしも多言語に対応させる必要はないと話した。
もちろん目的に合ったAIであることが大前提で,場合によってはフロンティアモデルの利用も必要になるだろうが,自分たちの目的に合った軽量モデルAIを作れれば,最適とは言えない規模の外部AIを利用して課金されるようなことはなくなるというわけだ。
そして,大きな価値を生み出すためには,AIをコストダウン目的だけではなく,新たな事業を創出するために使うことも重要となる。田中氏は,JR西日本がAIエンジニアを招き入れて設立した企業,TRAILBLAZERが,カスタマーサポートや保線のデータなどを学習したAIでグループ各社の作業を効率化しただけでなく,そのソリューションを販売し,さらには顧客から渡されたデータをまとめて戦略を練るといった事業にまで進出していることを挙げた。
「DX(デジタルトランスフォーメーション)の本質も,コストダウンではなく,新しい産業を作ることだった」と話す田中氏は,AIの活用法とは,ゲーム業界で言えば絵をAIで生成してクリエイターを減すことではなく,例えばクリエイターが作れる絵をどんどん増やし,1人1人のプレイヤーごとにカスタマイズすることを目指すようなことだとした。そういった「体験の個別化」が,長くプレイされることにつながると考えているという。
講演の最後に田中氏は,さくらインターネット単体ではなく,業界全体として成長産業をいかにして作るべきかについて,自身の考えを話した。
近年の日本はインバウンド需要が高まっており,2024年の旅行収支(日本人の海外旅行における支出と,訪日外国人旅行者の日本国内における支出の差額)は6兆円超の黒字となったが,実はそれと同じぐらいの額がデジタル赤字になっている。日本では国外のデジタルサービスが積極的に利用される一方で,海外では日本のデジタルサービスが利用されていないというわけだ。そして,デジタル赤字は2030年から2040年ごろに30兆円に達すると見込まれているという。
デジタル赤字の内訳はインフラや広告などさまざまだが,田中氏は特にコンテンツサービスに注目している。なぜ豊富なコンテンツを持っていて,デジタル産業も強かったはずの日本が,これほどまでのデジタル赤字を抱えるようになったのか。
田中氏はその要因が,1985年の法律改正によってソフトウェアに著作権が認められた後の企業の動きにある考えているという。法律改正によってソフトウェアそのもので利益を出そうとした企業は大きく成長したが,多くの企業がハードウェアの販売や「人を人月で出す」商売を選択してしまった。それが現在のデジタル赤字につながっているという。
田中氏は「外資系の会社さんが悪いわけじゃない」「便利な海外のサービスが自由に使える国であるべきだと強く主張します」と前置きしつつ,「日本がクリエイティビティを上げ,日本国内と海外で使われるようにしていくことが重要」と話し,生成AIがそのチャンスになり得ると呼びかけた。
その実現のためには,いかにして投資を呼び込むかが重要になる。田中氏は,日本のGDPが約600兆円なのに対し,個人保有の金融資産が2000兆円を超えていることなどを挙げて「日本は少なくともお金がない国ではない」と話し,使われていないお金を市場に流すことが,個々の豊かさにもつながると主張した。
そして,投資を呼び込むためには,投資をしたくなるストーリーが必要と話し,AIがそれに寄与するとアピール。「新しい産業,新しいインフラ,新しいクリエイティビティに資本家がどんどんお金を出して,一人一人が豊かになるような成長産業を作れるよう努力したい」と講演をまとめた。
「CEDEC 2025」公式サイト
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