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AIを作るAIで勝つ時代へ──IVS2025で語られた,スタートアップ企業成功の条件
登壇したのは,HeadlineのSasha Krecinic氏とThomas Jeng氏,AGI Houseの共同創業者Trang Nguyen氏,そしてBraid TechnologiesのCEO Ivo Timoteo氏の4名だ。
彼らが語ったのは,急速に進化するAI時代において,スタートアップがいかにして持続的な競争優位性を築くかという話題だ。本稿では,投資家,起業家,研究者それぞれの視点で交わされた議論の内容をお伝えする。
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パネルの冒頭,モデレーターのJeng氏が投げかけた「過去6か月間のAIにおける最も重要な進展は何か」という問いに対し,登壇者はそれぞれ異なる視点で回答した。
Headline VCで過去12か月,500社以上のAI企業と対話してきたKrecinic氏は,技術進化の加速について言及。「AGI※1への経路が並列化していることが重要です。強化学習の台頭や,テキスト,画像,音声など複数の形式を同時に扱えるマルチモーダルAIの発展など,多様な研究経路が指数関数的に拡大しています」。
さらにKrecinic氏は,アルゴリズムの最適化により消費者向けハードウェアでもAIモデルが利用しやすくなったこと,ムーアの法則による年間30〜40%の性能向上,そして最近では「再帰的自己改善」の研究が活発化していることを挙げた。
「AIを用いて新たなアーキテクチャや手法を発見し,AI自体を向上させる研究論文が4〜5本出ています。初期段階ですが,有望な兆候を示していると言えるでしょう」
※1 AGI(Artificial General Intelligence/汎用人工知能):現在のAIが特定のタスクに特化しているのに対し,人間のように幅広い知的作業を自律的にこなせる,より高度な人工知能
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一方,AI共同創業者プラットフォームを構築中のNguyen氏は,より実践的な観点から語った。
「OpenAI(ChatGPT)のDeep Researchは,AIが単なる情報検索ツールではなく,大規模な深層調査を行い,意味のある情報を加工して提供する『研究パートナー』になったことを示しています」。氏によれば,この進展はライフサイエンスやバイオテック分野に大きな影響を与えており,自身の会社にも直接的な影響があるという。
コンピュータ科学者でもあるTimoteo氏は,DeepMindの成果に注目した。「AlphaProof※2とAlphaGeometry※3は,大規模言語モデル(LLM)と推論システム――この場合は数学的証明――を組み合わせた素晴らしい進展です」と語り,このハイブリッドアプローチの重要性を強調する。「LLM(大規模言語モデル)を人間の意図を形式化された設定に変換するために活用し,その後,専門家が検証/理解できる実際の証明を生成する。これは両者の良いとこ取りです」。
※2 AlphaProof:DeepMindが開発した数学的証明を行うAIシステム。国際数学オリンピックレベルの問題を解くことができ,単に答えを出すだけでなく,数学者が理解/検証できる形式で証明過程を生成する。大規模言語モデルと形式的証明システムを組み合わせた,次世代AIアーキテクチャの代表例
※3 AlphaGeometry:DeepMindが開発した幾何学問題を解くAIシステム。AlphaProofと同様,図形の性質や定理を用いた証明過程を論理的に構築し,人間が理解できる形で提示する。純粋な計算だけでなく,図形の洞察と論理的推論を組み合わせた問題解決能力を持つ
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なぜ数学的証明が重要なのか。Timoteo氏は「ChatGPTのようなシステムは『最も統計的な答え』を出す傾向があります。しかし科学的な問題解決では,想像ではなく『検証可能で形式化された解決策』が必要なのです」と説明した。
AIは現代において最も注目される技術の一つだが,同時に多くの誤解も生んでいる。パネリストたちは,一般的に認識されていない重要な側面を指摘した。
Nguyen氏が真っ先に挙げたのは,「最高のAI企業の多くは,自らをAI企業として売り込みません」という,意外な事実だ。その理由は,AIがインフラ層やワークフローに組み込まれているため,ユーザーに直接的に意識することなく使っていることが多いからだという。
「Grammarly※4やGitHub Copilot※5がその好例です。彼らはAI企業として自らをマーケティングしていませんが,AIを使っているサービスです」。さらに重要なのは,これらの企業がAI機能だけでなく,ユーザーとの信頼関係の構築にも注力している点だ。
※4 Grammarly:英文の文法やスペルをリアルタイムでチェックする文章校正ツール。ブラウザ拡張機能やアプリとして提供され,世界中で3000万人以上が利用している。AIを活用した高度な文法チェック機能を持つ
※5 GitHub Copilot:GitHubとOpenAIが共同開発したAIプログラミング支援ツール。開発者がコードを書く際に,文脈に応じたコードの提案や補完を自動的に行う。プログラマーの「AIアシスタント」として機能するが,多くの開発者はこれを「便利なコーディングツール」として認識しており,AIであることをとくに意識せずに使用している
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Krecinic氏は,技術面での誤解について語った。「最高の技術チームの多くが流通を完全に軽視していることが多いです。最高の製品を持っていても勝てない状況を見るのは,とても辛いことです」。Krecinic氏は創業者たちに,顧客の特定とアプローチ方法を教える「Go-to-Market(市場開拓)」トレーニングを行っているそうだ。
また,多くの創業者が「主要なラボの道筋に沿った開発」を行う傾向があることも問題だという。「OpenAIやAnthropicが開発している汎用的な機能の6か月先にあるような開発を行う場合,買収されることや,あとでまったく別のものに進化する計画がない限り,明確な理由が必要です」。Krecinic氏は聴講者たちに,研究経路を調査して今後のパイプラインを予測し,自社の製品ロードマップがエコシステム内で互換性と競争力を持つことを推奨していた。
Timoteo氏は,より根本的な誤解を指摘した。「AIは『真実を話す』ように訓練されていません。『ユーザーを喜ばせる』ように訓練されているのです」。強化学習の目的は,答えが正しいかどうかではなく,ユーザーを満足させることにある。さらに,一般の人々はAIが新しい情報を創造していると誤解しがちだが,実際は「回想」であり,人類が知らなかった新しい情報を創造しているわけではない。
「たとえば『神は存在するか』のような質問をAIに尋ねる人がいます。ですが『真実を教えてください』とお願いしても意味がありません。AIは,あなたが聞きたがっていると推測されるトーンで答えを作り出しますが,それは真実ではなく,単にユーザーを満足させるための回答なのです」。
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では,AIスタートアップが持続可能で,規模を拡大しても効率的に成長できるビジネスを構築するには,どうすればよいのか。パネリストたちは実践的なアドバイスを提供した。
Timoteo氏は自身の経験から,「本質的に難しい問題」に取り組むことの重要性を強調した。「高価値だが非常に簡単な問題を解決しようとすると,近い将来AIシステムに置き換えられたり,完全に自動化されたりする可能性が高い。一方,本質的に難しい問題に挑戦すれば,主要なラボにとっても簡単ではないし,競合も参入しにくい」。
Timoteo氏が率いるBraid Technologiesは,自動車,航空宇宙,衛星などの高度なエンジニアリング設計の自動化を手掛けている。「衛星エンジニアは,打ち上げ時の振動や温度差など,すべての目標と制約を説明するのは得意です。しかし,これらすべての制約を満たす形状を見つけるのに通常1〜2年かかります。我々の技術では,これを2〜3日のプロセスにしています」。
このような問題選択の基準について,Timoteo氏は「人間は設計問題を記述するのは得意ですが,7つの物理的制約と5つの製造上の制約を同時に満たす幾何学形状を考案するのは苦手です。こういった最適化問題で,特定のツールで人間の能力を拡張できる分野が狙い目です」と説明した。
Nguyen氏は,流通戦略の重要性を繰り返し強調した。「どんなAIスタートアップにとっても,ディストリビューションが最重要です。素晴らしい製品があっても,流通がなければゴミ同然です」。彼女は自身の経験から,Y Combinator※6やEntrepreneur First※7など多くの育成機関に早期投資していたことが,現在の流通面での優位性につながっていると語った。
※6 Y Combinator:2005年設立の世界最有力スタートアップ育成機関。Airbnb,Dropbox,Reddit,Twitchなど,数多くの有名企業を輩出した
※7 Entrepreneur First:ロンドンの起業家育成プログラム。通常の支援機関と異なり,アイデア段階どころか共同創業者すらいない個人を受け入れ,プログラム内で共同創業者をマッチングさせる独特の手法で知られる
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さらに,独自データ(Proprietary Data)の重要性も指摘する。「ディストリビューションと並んで,真の差別化要因となるのが独自データです」とNguyen氏は語った。
Krecinic氏は,投資家の視点から成功要因を整理した。「難しい問題を解決し,かつディストリビューションを持つ企業を探しています。それは通常,業界やエコシステムへの『くさび』を打ち込むことを意味します。その『くさび』が,より大きなものへと進化し成長するプラットフォームになるのです」。
具体例として,臨床試験データを収集するプラットフォームを挙げた。「がんを治すという大きな問題を,最初から解決する必要はありません。臨床試験のデータを収集するプラットフォームになれば,そのデータが後の問題解決のためのトレーニングデータになります」。
また,創業チームの質も極めて重要だという。「最高のチームであること,勝つための適切な能力,才能,そして決意が非常に重要です」とKrecinic氏は語る。Timoteo氏も「少なくとも10個のアイデアを考えてください。チームは問題そのものよりも重要です。すべての価値ある問題はすでに誰かが考えています。問題は,なぜあなたのチームがそれを適切に構築できるかです」と付け加えた。
パネルディスカッションの終盤では,AIがコミュニティやディストリビューション戦略に与える影響について議論が交わされた。
会場からの「AIがコミュニティを扱うスタートアップや企業にどのような影響を与えるか」という質問に対し,Nguyen氏は自身の経験を踏まえて「コミュニティは絶対的に重要です。実際,10年前に構築した私の前の会社も機関投資家向けのコミュニティでした。Y CombinatorやAGI Houseのように,最高の企業は優れたコミュニティを構築しています」と返答した。
Krecinic氏は,より抽象的だが示唆に富む視点を提供した。「個人エージェントが普及する世界を想像してください。ここにいる全員が自分のパーソナルエージェントを持つとすると,そこにはパーソナルエージェントのコミュニティが形成されます」。
Krecinic氏によれば,これらのエージェント同士が知識を共有することで,ネットワークの到達範囲と接続性が指数関数的に増加する。「ロッククライミング用の靴のサイズについて,私のネットワークがあなたのネットワークに尋ね,答えを取得して返してくる。このような仕組みで,消費者向け商品の知識を共有するためだけの『エージェント専用のGoogle』のような,まったく新しいタイプの企業が多数生まれる可能性があります」。
AI時代のディストリビューション戦略についても,興味深い変化が起きている。Krecinic氏は「AIがAIを展開する」という強力なフライホイール効果※8を指摘した。「多くのAI BDR(ビジネス開発)企業が,自社製品を使って自社製品を販売しています。これは非常に強力です。ボイスエージェント企業の多くは,Webサイトでライブデモを行い,人々が製品を体験できるようにしています」。
※8 フライホイール効果:重い車輪(フライホイール)が一度回転し始めると,その勢いで回転が加速し続ける物理現象になぞらえたビジネス用語。好循環が生まれ,各要素が相互に強化し合うことで,事業が自律的に成長していく仕組み
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実際,この手法を使って1年で0から2000万ドルの収益を上げた企業もあるという。しかし同時に,人間的な要素も依然として重要だと氏は強調する。「AIの導入には,恐怖心,不安,好奇心など,人間のさまざまな感情が伴います。文化的な側面も考慮しながら,実世界でのバランスの取れたアプローチが不可欠です」。
パネルディスカッションでは,AI時代における競争優位性の構築には,技術力だけでなく,流通戦略,独自データ,そして何より優れたチームが必要であることが明確に示された。そして,AIという技術の本質を正しく理解し,その限界と可能性を見極めながら,「本質的に難しい問題」に挑戦することこそが,持続可能な成功への道筋であることが浮き彫りになったのではないだろうか。
日本のスタートアップエコシステムに対しても,登壇者たちは期待を寄せている。とくにNguyen氏は「日本政府も私のクライアントの一つです。日本のテックスタートアップとAIエコシステムにとても期待しています」と述べ,日本市場の可能性を高く評価した。AI時代の競争は始まったばかりだ。重要なのは,技術の進化に翻弄されることなく,その本質を見極め,人間にしかできない価値創造に集中することなのかもしれない。
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