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[インタビュー]Xbox 360発売から20年。専門誌の編集長だった松井ムネタツ氏が語るその魅力,伸び悩む国内販売に感じた歯がゆさ,そして終焉
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印刷2025/12/10 07:00

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[インタビュー]Xbox 360発売から20年。専門誌の編集長だった松井ムネタツ氏が語るその魅力,伸び悩む国内販売に感じた歯がゆさ,そして終焉

 Microsoftのコンシューマゲーム機,Xbox 360が,2025年12月10日に国内発売から20周年を迎えた。同世代と見なされるPlayStation 3やWiiの発売から約1年先駆けての登場となったXbox 360は,世界初のフルHD解像度対応など,画期的な機能を搭載しており,最終的な全世界での販売台数は8500万を超えるなど,ライバルたちと遜色のない数字を残した。

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 だがその一方で,日本では一部の熱心なファンに支えられつつも,今一つ盛り上がりきれなかった印象が強い。

 4Gamerではこの20周年を機に,かつて「ファミ通Xbox360」(現在は休刊)の編集長を務め,現在はゲーム関連を中心に編集者/ライターとして活躍している松井ムネタツ氏にインタビューした。Xbox 360の魅力に加え,同機を取り巻いていた状況などについて語ってもらっている。

松井ムネタツ氏。右にある「Gears of War 3」デザインのXbox 360は,氏の私物
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初代Xboxは,日本のゲーム文化と噛み合わなかった


4Gamer:
 本日はよろしくお願いします。今回はXbox 360が20周年を迎えたことを機に,当時を振り返っていただこうと思います。そもそも松井さんご自身は,Xbox 360にどういった経緯で関わるようになったのでしょうか。

松井ムネタツ氏(以下,松井氏):
 順を追って話すと,僕自身は40年近く前から,ゲームメディアを中心に編集・ライティングを続けています。

4Gamer:
 ファミ通Xbox360より前に,アーケードゲーム誌の「ゲーメスト」の編集者として活躍していた松井さんを知っている人も多いと思います。

松井氏:
 そのゲーメストを刊行していた新声社が1999年に突如倒産して。それで,どうしようかなとフラフラしているときに,コンビニか何かで「ファミ通DC(ドリームキャスト)」を見たら,編集者を募集してたんです。徳間書店時代(ゲーメストの前はPC雑誌「テクノポリス」に在籍)の同僚だった何人かの名前が奥付にあったので,「これ,すぐ受かりそう」と応募したら,即連絡があって「いつから出社できる?」と(笑)。

4Gamer:
 ファミ通DCは,ドリームキャストの生産中止発表を受けて2001年8月号で休刊になって,日本での初代Xbox発売(2002年2月)に合わせて,「ファミ通Xbox」が新たに刊行されるわけですね。

松井氏:
 そうです。編集部がそのまま移行して。

4Gamer:
 そうすると,松井さんは初代Xboxのスタート時期からずっとXboxを追いかけていたことになりますね。その当時,初代Xboxについてどのように感じていましたか。

松井氏:
 それまで長らくゲーム機と言えば日本製が当たり前でしたから,Microsoftが作るとどうなるんだろうなと。当時の僕は,いち編集者でしかなかったので,降りてくる情報を耳にする程度だっだんですけれども,「PCの延長線上なのかな」「ドリームキャストもOSの一部にWindows CEを採用していたたから,その流れなのかな」ぐらいのことは思っていました。あとは名称ですね。本当に,Xboxのままでいくのかなって。

4Gamer:
 当初はコードネーム扱いだったんですか。

松井氏:
 それもそうなんですが,読み方ですよね。今でこそ,みんな「エックスボックス」と読んでますけれど,当時は初見で読めるだろうかと。

4Gamer:
 いざ初代Xbox本体の実物を見たときの印象を教えてください。

松井氏:
 デカくてゴツい。機能面ではハードディスク内蔵,インターネットにはブロードバンド接続……と,一歩先を行っていると感じました。半面,まだまだアナログポートは必要なんじゃないか,ハードディスクがあってもソフトをインストールできるわけではないので,どうなんだろうとも思っていましたね。

4Gamer:
 そんな不安のようなものも,初代Xboxの発売前に感じていたと。

松井氏:
 とくにゲームのラインナップに関してはそうですね。大丈夫かなと。あと,当時のMicrosoftは,どんなプロダクトでも「勝つまでやる」「3世代目からが勝負」と言っていたので,「3世代目か……。いつになるんだろうな」と思っていました。

4Gamer:
 個人的には,PlayStation 2とドリームキャストの発売で盛り上がっているときに「Microsoftがゲーム機を出すらしい」との話が出てきて,「本当に出るの?」と。それで,ドリームキャストの生産中止が決まった頃に初代Xboxの発売日が発表されて,「あ,本当に出るんだ」となった記憶があります。どちらも微妙なタイミングというか……。

松井氏:
 アメリカだと初代Xboxのローンチタイトルとして「Halo: Combat Evolved」(以下,「Halo 1」)が出て,それでコントローラを使って遊ぶFPSというものが広く受け入れられたという印象があるんですけれども,当時の日本はまだFPS自体がメジャーなゲームではなかったんですよね。そういったところも盛り上がりに欠ける原因だったかもしれません。

4Gamer:
 そうですね。日本でのFPSはマイナーなジャンルだったと思います。

松井氏:
 これはいろいろなところで話しているんですが,「Halo 1」の日本語版がリリースされるときに,Microsoftの日本法人がメディア向けに説明会を開いたんですよ。一通りの説明が終わった後の質疑応答で,「これはガンコントローラで遊べるんですか」という質問が出て。今なら多くの人が「FPSとガンコンで遊ぶレールシューターは違う」という認識を持っているでしょうが,そのときは「日本ではまだFPSが浸透していないんだな」と強く感じましたね。

4Gamer:
 日本のゲーム文化には噛み合わないと感じたわけですね。

松井氏:
 アメリカのゲーム文化をそのまま日本に持ってくるのは無理だなと。とくに初代Xboxは,日本向けの展開が難しくて苦戦していました。何より日本のゲームが少なかったから「普及させるのは,なかなか大変だな」と。
 それに,ディスクドライブの問題でROMディスクが削れてしまう不具合が発生したのが大きかったと思います。価格面でも,発売からわずか半年くらいで値下げするなど迷走していました。


初代の反省を踏まえて動き出したXbox 360


4Gamer:
 実際,初代Xboxは日本だと低調で,早くも2005年5月には後継機としてXbox 360が発表されました。Microsoftの意気込みのようなものは感じられましたか。

松井氏:
 本当の思惑までは分かりませんが,「今度はやるぞ」「とにかくPlayStationより先に」という意思は感じました。

4Gamer:
 気合十分といった感じだったんですね。初代のときも手を抜いていたわけではないと思いますが。

松井氏:
 初代Xboxの頃は,少なくとも外から見ているぶんには,まとまり切れていない印象がありました。Microsoftの日本法人は,初代Xboxを立ち上げる段階でほかのゲーム企業から人材をヘッドハンティングしていたんです。ゲーム事業のトップは元ソニー,宣伝周りは元任天堂,開発は元セガという感じだったんですけど,文化の違いもあるのか,なかなかうまくいかないなと。集められた人たちが数年後に次々と辞められるような動きもあったと記憶しています。

4Gamer:
 あー,そういう問題が……。

松井氏:
 短期間で一気に立ち上げたようなので,大変だったんだろうなとは思いますけれども。ですが,Xbox 360のローンチ前あたりからは,かなりまとまってきた印象がありました。

4Gamer:
 Xbox 360の登場を受けて,ファミ通Xboxは「ファミ通Xbox360」となりましたが,当時の松井さんはどのような立場だったのでしょうか。

松井氏:
 ファミ通Xboxの途中で編集長を引き継いで,ファミ通Xbox360では最初から編集長でした。

4Gamer:
 編集長だと相応の情報が入ってくるかと思うのですが,Xbox 360の発表前にはどんな動きがあったんですか。

松井氏:
 初代Xboxの後期に,Microsoftの日本法人と本社から担当者が来て,「日本で受け入れられるにはどうしたらいいか教えてほしい」と聞かれたことがあります。2000年代前半の国内の話ですから,「日本製タイトルの不在が致命的」に加えて,「RPGがとにかく足りない」という話を強くしましたね。スクウェア・エニックスさんはもちろん,開発会社で言えばトライエースさんなどと交渉して,うまいことXbox向けのRPGを作ってもらうといいんじゃないかと。

4Gamer:
 当時の人気ジャンルといえば,まずRPGでしたからね。

松井氏:
 ただ,それと並行するようなタイミングで,「どうやら日本独自のXbox向け大型RPGの企画が動いているらしい」という話が耳に入ってきたんです。それで初代Xboxがもう終了するかどうかという時期に,当時日本のXbox事業本部でマーケティング本部を仕切っていた泉水さん(泉水 敬氏)が,「実はRPGを作っています」と誌面で明言してくれたんです。

4Gamer:
 MicrosoftのほうでもRPGの重要性は分かっていたと。

松井氏:
 それが坂口博信さんの「ブルードラゴン」「ロストオデッセイ」だったんですよね。さらにトライエースさんにもしっかりアプローチをかけていて,かなり時間はかかりましたけれども,「インフィニット アンディスカバリー」がリリースされました。

「ブルードラゴン」
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「ロストオデッセイ」
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4Gamer:
 そうなると,初代Xbox後期には,すでに日本独自展開が動いていたんですね。

松井氏:
 日本での展開をしっかり見据えて,本腰を入れていると強く感じました。

4Gamer:
 実際にXbox 360が発表されたときは,どんな印象を持ちましたか。

松井氏:
 発表前に,日本のメディアがシアトルのMicrosoft本社に招待されたんです。事前情報が何もなくて,そこで初めてXbox 360という名称を知らされて,本体の実物を見せてもらいました。第一印象は,「白っ! 丸っ! 初代と逆やん!」でしたね(笑)。あんなに黒くてゴツゴツしてたのに,新型は白くて曲線を活かしたデザインになったのかと。

4Gamer:
 確かにXbox 360初期モデルのデザインは,Xboxのハードウェア全体で見てもユニークだと思います。

松井氏:
 初代にすごくデカい印象があったせいか,Xbox 360はデザイン的にもそんなに大きくない感じを受けたんですよね。それをみなさんに実感してほしくて,Xbox 360が発表された後,本体の実物大ペーパークラフトをファミ通の付録にしたんですよ。すごく出来が良くて,側面のカーブも綺麗に再現されていて,テレビの横に置いて「手に入れたらこんな感じになるんだ」と体験してほしいと考えていたんですけれども,それほど反響がなくて(笑)。

4Gamer:
 松井さんのXbox愛を感じます(笑)。

松井氏:
 その一方で,ACアダプターが想定外に大きかった。確かに本体は小さくなってスッキリしたけど,Microsoftの担当者がすごく申し訳なさそうに「実はACアダプターが……」と見せてきたときには本当にビックリしました。何かもう,推理小説の殺人事件で凶器として使われるようなサイズ感と重量感でしたよね(笑)。

4Gamer:
 確かに,あれの置き場所確保や取り回しには少々苦労しました。

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松井氏:
 あとは「360」という名前も印象的でしたね。「急に数字が飛んだぞ!」と。そこから帰国して,会議で報告するときに,口で言わずホワイトボードに書いたんですよ。まず「Xbox」と書いたら,「まあ,そうだよね」と。次にゆっくり「3」を書いたら,その場にいた人たちが「え?」って。続けて「6」と書いたら,また「6!?」と騒然として。最後に「0」を書いたら,「何だよ,それ!」って(笑)。

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4Gamer:
 その由来とか意図について聞いたことはありますか。

松井氏:
 360度全方向に展開していくぞという意味だったと理解しているんですが,Microsoftには当初,「PlayStationより低い数字にはしたくない」という気持ちがあったようです。だからといって3ケタにする必要はないだろうとは思いましたけどね。

4Gamer:
 Xbox 360のエポックメイキングなところとしては,コンシューマゲーム機として初めてHD解像度に対応したことが挙げられます。

松井氏:
 当時は日本だと地デジへの移行期にも当たって,HD環境の普及がボチボチ始まったタイミングだったと記憶しています。「ハイデフ」とも呼ばれていたんですよね。HDと言っても,多くの人はあまりピンと来ていない印象がありました。

4Gamer:
 HD化に合わせて,編集部の環境整備も必要になりますよね。

松井氏:
 はい。テレビをすべて買い換えました。初代Xboxまではビデオ端子経由でゲーム画面をすべてアナログテープに録画して,それをキャプチャして雑誌に掲載する画像を作成していたんですが,Xbox 360だとその方法は使えません。
 最初はどうやって録画すればいいのか分からなくて,結局キャプチャボードを買ったのかな? ちょうどD端子を備えた新作キャプチャボードが発売されたタイミングだったので,ほかの編集部と一緒にまとめて買って使っていました。

4Gamer:
 Xbox 360から,仕事のやり方も大きく変わったわけですね。

松井氏:
 録画データは全部ハードディスクに保存することになったので,そういった面も含めて,機材周りは結構大変でしたね。

4Gamer:
 PS3との比較では,「Xbox 360のほうがPS3よりゲーム開発が簡単だ」という話もよく聞きました。実際のところはどうだったんでしょう。

松井氏:
 PS3に採用されたCellの独自仕様がゲーム開発を難しくしていたがゆえに,相対的にXbox 360のほうが簡単だったという話だと思います。Microsoftはもともとソフトウェアの会社ですから,開発環境の構築に力を入れていた側面もあるかなと。とくにインディーゲーム開発者向けに提供していた開発ツール「XNA」は,すごいことをやっていると思いましたね。個人で開発したゲームを個人が配信できる。今となっては当たり前になっていますが,すごく早い段階での取り組みでした。

4Gamer:
 松井さんが個人的に気に入ったXbox 360の機能やサービスは何になるでしょうか。

松井氏:
 オンラインサービスの「Xbox LIVE」ですね。コントローラにヘッドセットを接続してボイスチャットができたんですよね。当時の日本だと,ゲーム中のボイスチャットに抵抗がある人は多かったんですが,1回体験すると便利すぎて手放せなくなるんですよ。
 また,当時Xbox 360のオンラインサービスを利用するには,18歳以上でクレジットカード必須という条件があったんですね。その結果,大人,社会人が多くなって,“治安”がすごく良かったことを覚えています。


期待作の集中時期に,本体が品薄になる歯がゆさ


4Gamer:
 Xbox 360の発売日が近づく中,専門誌の編集長だった松井さんは,人気や売り上げについて,どのような予想を立てていたのでしょうか。

松井氏:
 かなりいけそうだと予想していました。「ローンチで『リッジレーサー』のナンバリングが出るなんて,もう完全にPSと肩を並べてるじゃん! 絶対いい勝負ができる!」くらいの気持ちでしたね。

4Gamer:
 2005年12月10日,国内でXbox 360が発売されました。ライバル機より先行して,ローンチタイトルには日本製タイトルありと,初代Xboxでの反省を踏まえてのスタートでしたが,実際の出足は鈍かったと記憶しています。

松井氏:
 そうですね。確か発売週の売上台数は,ファミ通調べで6万台程度だったんじゃないかな。10万台はサクッといくと思っていましたから……。編集長として,対外的には「ローンチタイトルとして出ると言われていた『デッド オア アライブ4』が半月近く遅れたので,そのせいかも」と話していたんですけれども,本音としては「Xboxはまだダメなのかな」というところもありました。ただ,約1年後の2006年12月7日に「ブルードラゴン」がリリースされるので,そのタイミングでもうひと勝負できるだろうという期待もありました。

4Gamer:
 「ブルードラゴン」前後の2006年秋から2007年初頭にかけては「デッドライジング」に始まり,「地球防衛軍3」「ロスト プラネット」「Gears of War」,そして「アイドルマスター」と,人気タイトルが立て続けにリリースされました。ファミ通Xbox360の売上も含めて,松井さんはXbox 360に手応えを感じましたか。

「デッドライジング」
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「アイドルマスター」
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松井氏:
 これも何度か話しているのですが,ファミ通Xbox360が一番売れたのは「ブルードラゴン」のタイミングで出した号なんですよね。並行してカプコンさんのような日本の大手パブリッシャがXbox 360独占,もしくは先行でどんどんゲームをリリースしていたので,それに応じて雑誌も売れるようになり「これは調子いいぞ」と。

4Gamer:
 これは松井さんに聞くことではないかもしれませんが,ゲームの独占リリースや,いわゆる時限独占リリースをすると,Microsoftからサポートを得られたのでしょうか。

松井氏:
 具体的な話を聞いたわけではないのですが,いわゆる広告周りのサポートはあったと思います。後々にいろいろ聞いた話をまとめてみると,「時限独占でいいから他機種より先行してリリースしてほしい」という要望がMicrosoftからあったんだろうな,という印象です。

4Gamer:
 独占よりは,リリース時期にこだわっていたようだと。

松井氏:
 先に出したら出したで,ライバルプラットフォーム向けにはバランス調整や追加要素ありの“完全版”がリリースされるといった問題もあったのですが,それを差し引いても先にリリースしたかったようですね。

4Gamer:
 それはやはり初代Xboxの反省があったからでしょうか。

松井氏:
 それもそうですし,PS3より1年先行しているわけですから,それだけHD環境のサポートにも力を入れていたのでしょうね。その意味でもXbox 360版を先に出してほしいという思いがあったみたいです。

4Gamer:
 松井さんにとって,ファミ通Xbox360が一番売れたという「ブルードラゴン」は印象に残るタイトルの1つだと思います。そのほかにXbox 360でリリースされた中で印象に残っているものはありますか。

松井氏:
 雑誌を作っていた側の視点で挙げるなら,「アイドルマスター」ですね。このタイトルのキャラクターを表紙にした号はいくつかあるんですけれども,アンケートはがきで「買いにくかった」という意見が多数寄せられたのを覚えています。

4Gamer:
 女性キャラクターが表紙だと買いづらいというのは時代を感じます。今やサラリーマンや学生が電車内で「学園アイドルマスター」をプレイしている光景なんて普通に見られますよね。

松井氏:
 「オトメディウス」を表紙にした号も「買いにくい」と。でも「アンケートを送ってきたってことは,お前買っとるやないかい!」って思うんですけど(笑)。実際,「買いにくい」という意見が多かった号も,売上にはほとんど影響がなかったと思います。

4Gamer:
 さて,2006年12月に「ブルードラゴン」がリリースされますけれども,雑誌などで盛り上がっていたほどには,実際の勢いがなかったように思いました。

松井氏:
 おそらくソフトが潤沢だった一方で,十分な数の本体を用意できていなかったことが原因だと思います。そういうことが多かったんですよね。「ここで売れるはずなのに」というタイミングで,本体の供給が間に合わない。とくにそれを感じたのが,2008年8月に「テイルズ オブ ヴェスペリア」がリリースされたときでした。ソフトとXbox 360本体のセットが早々に売り切れてしまって,そこから本体が手に入りづらい状況が続いたんですよ。

4Gamer:
 そこから2008年内は「インフィニット アンディスカバリー」「ラスト レムナント」,年が明けて2009年2月には「スターオーシャン4 -THE LAST HOPE-」と,怒濤のように国産RPGがリリースされました。いずれもXbox 360が独占または先行発売だったので,「ブルードラゴン」の時期と同じような稼ぎ時だったんですが。

「テイルズ オブ ヴェスペリア」
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「スターオーシャン4 -THE LAST HOPE-」
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松井氏:
 あのタイミングでしっかり本体を供給できなかったのは残念でした。

4Gamer:
 せっかくいろいろ仕込んで,独占タイトルを含むRPGが集中した年末年始の時期に,肝心の本体が足りていなかったと。

松井氏:
 後に聞いた話だと,Microsoftとしても,あそこまでRPGを集中させる予定はなかったそうなんです。当初は1年半くらいかけてじっくり出していく予定が,各タイトルの発売時期がどんどん変更になり,結果的に半年くらいで一気に発売されてしまって。

4Gamer:
 そういった状況を,松井さんはどんな思いで見ていたのでしょうか。

松井氏:
 いろいろ歯がゆかったですね。とくにXbox 360の国内累計販売台数が100万台に到達したときは,誌面でも「100万台!」と大きく打ち出したんですけれども,その一方でPS3は何倍も売れている……。「ここからが勝負!」と言いつつも,「でも,まだ100万台か……」という歯がゆさはずっとありました。「広告が足りないからだ」とよく言われていたんですけれども,実際に消費者行動を促すことはなかなか難しかったと思います。WiiやPS3を持っていれば,多くの人が好むゲームはほとんど網羅できてしまいましたから。

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4Gamer:
 そういった視点で見ると,Xbox 360はコアゲーマーの支持を受けていた印象があります。

松井氏:
 そうですね。たとえば「コール オブ デューティ 3」は,国内だとXbox 360版がPS3版より半月ほどですが先にリリースされるなど,「海外で流行っているゲームはいち早くXbox 360で遊べる!」という傾向,雰囲気がすごくあったので,そういうところに敏感なゲーマーに好まれていました。あとは格闘ゲーム勢ですね。Xbox 360はオンライン周りがしっかりしていたので。

4Gamer:
 ファミ通Xbox360の読者も,コアゲーマーが多かったのでしょうか。

松井氏:
 熱心な読者が多いという印象がありました。そのため,ある時期から記事にスペック周りに関して細かく記載するようにしたんです。本体だけで遊べる人数,オンラインで遊べる人数,日本語対応はテキストだけなのか音声込みなのかといったことを細かく書くよう意識していました。

4Gamer:
 先ほど表紙の話がありましたけど,プッシュするタイトルも自然と独自性が生まれていたように思います。

松井氏:
 「STEINS;GATE」はものすごく大きな反響がありました。このタイトルは見せてもらった瞬間に,「うちで設定資料集を出させてください」とオファーしたほど一目惚れしたんです。キャラクターデザインを手がけたhukeさんのイラストもすごくよくて,「これは絶対面白いに違いない」と。結果,設定資料集は12刷りくらい重版がかかったのかな? 

「STEINS;GATE」
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Xbox 360がゲームにもたらした功績,そして迷走


4Gamer:
 ゲームのDLCは今だと当たり前の存在ですが,「DLCとはこういうものだ」ということを国内に広めたのはXbox 360でリリースされた初代「アイドルマスター」だったように記憶しています。ファミ通Xbox360では,DLCをどのように扱っていたのでしょうか。

松井氏:
 今で言うエモートやコスチュームレベルですけれども,ある時期から本誌の付録として各タイトルのDLCコードを提供していました。とくに「モンスターハンター フロンティア」の武器のコードは,カプコンさんから四半期に一度くらい出してもらっていました。

4Gamer:
 それだけ頻繁だったとなると,読者からは好評だったわけですか。

松井氏:
 そのとおりです。確か「Gears of War」のコードも付録にしました。
 その一方で,追加シナリオのようなDLCはプレイヤーによって買う買わないが生じてしまうので,誌面ではそこまで大きく扱わなかったですね。

4Gamer:
 Xbox 360は海外のゲームを先行して遊べるというお話もありましたが,何か印象に残っているタイトルやエピソードはありますか。

松井氏:
 2007年の「The Elder Scrolls IV: Oblivion」(以下,Oblivion)ですね。国内だとXbox 360版がPS3版より2か月先行してリリースされたんです。当初,僕らはそこまで注目していなかったんですが,リリース後の反響が大きくて,3号連続で小冊子を付録にしました。

4Gamer:
 Xbox 360版「Oblivion」は,DLCの国内版がリリースされなかったんですよね。ゲーム中にDLCの実績項目まで表示されていたのに……。それはともかく,現在各プラットフォームに搭載されている,いわゆる実績システムは,確かXbox 360が最初でしたよね。

松井氏:
 そうなんです。大発明と言っていいでしょうね。

4Gamer:
 日本製タイトルが増えて,先行リリースされる話題作も多く,DLCや実績システムなど,今では一般化している仕組みを先行して世間に広めてきた。にもかかわらず,今一つ国内でXbox 360が振るわなかったことをどう分析していますか。

松井氏:
 初代Xboxの印象を引きずってしまったのか……。先ほども話しましたが,世間的にWiiやPS3を買えば十分という意識があったからか……。かなりのゲーマーでないと,ゲーム機をいくつも買うことはしませんよね。
 
4Gamer:
 ただ,全世界での販売台数を見ると,Wiiの若干下にはなるものの,PS3と肩を並べるくらいまで行ってるんですよね。

松井氏:
 アメリカだけなら,PS3よりも売れていましたしね。でも個人的には,それが後の失敗を招いたとも思うんですよ。北米でPS3に勝った勢いに乗って「次はリビングを制覇しよう」となって,Kinectに注力してしまって。

KinectはXbox 360用のモーションセンサー。音声や身振りによってゲームをプレイできた
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4Gamer:
 ゲーマーの支持を得たところでファミリー層を狙うのは,考え方としては分かりますが,リスクもはらむような気がします。

松井氏:
 当時,Microsoftの日本法人の方から「ファミ通Xbox360も,これからはファミリー層に向けた記事を作っては?」といった話もあったんですけど,こっちは「まだマニアすら十分に獲得できてないのに!?」「これはヤバそうなニオイがする……」とちょっと不安に感じました。
 だって,読者にファミリー層なんていないんですから。完全に迷走していたんですよ。後継機のXbox OneはAV機能をアピールしたり,Kinectを同梱したりで,ゲーマーではない層を獲得しようとしましたが,結果としてゲーマーは離れて,リビングも取れないという世界的な大失敗に終わったと思っています。

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[2010/09/08 22:43]

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[2013/05/30 12:26]

4Gamer:
 その話を聞いて,女性向けのファッションイベント……確か東京ガールズコレクションにKinectのブースが出展されたことを思い出しました。「なぜそこに?」という思うようなプロモーションでしたが,当時はそれくらいゲーマー以外の層を取り込みたかったんでしょうね。そういったところはともかくとして,Kinectを使って,音声やジェスチャーでゲーム機やPCを操作できたのは衝撃的でした。

松井氏:
 今でこそ,皆「Hey, Siri !」とか「Alexa,○○して」とか普通にやっていますけれど,当時は音声や身振り手振りでコンピュータを操作できるなんてビックリでしたよね。
 Microsoftも「Kinect: ディズニーランド・アドベンチャーズ」をディズニーストアで販売してストアの売上1位になるなど頑張っていたんですけど,とくに国内ではハードルが高かったというか,Kinectが日本の住宅事情に合わない状況もあって,やはり反響は今一つでしたね。

4Gamer:
 そうでした。特に1人暮らしとかだとプレイスペースの確保が……。アメリカの家なら何の問題もなかったのでしょうが。Xboxでは,日米の違いというのが,ところどころで顔を出しますね。

松井氏:
 「Gears of War 2」の取材でアメリカに行く機内で,Microsoftの方から「実は表現規制の問題で,『Gears of War 2』は国内販売ができないかもしれません」と伝えられたこともありました。結果的には無事に発売されましたけどね。

4Gamer:
 ところでXbox 360と言えば,初期型では一般的ハード障害,いわゆるRed Ring of Death(RRoD)が多発したことが知られています。実態はどうだったのでしょうか。

松井氏:
 編集部にあった初期型は,かなり壊れました。とくに困ったのは,デバッグ機が頻繁に壊れることでしたね。各メーカーから送られてくるゲームのサンプルを動かすことができなくなるので,その都度Microsoftに修理に出すんですよ。もう修理修理の連続で。

4Gamer:
 2007年に登場したモデルから対策されたようですが,デバッグ機もアップデートされたのでしょうか。

松井氏:
 結局,最初に借りたものをずっと使っていました。追加で借りることもできたんですが,本体デザインはずっと初期型のものでした。


「Halo 4」の初報が響かない状況を見て,休刊を決断


4Gamer:
 Microsoft,特に日本法人は,日本で思ったような結果が出ないことに苦慮していたと思います。松井さんから見ていて,感じたことはありましたか。

松井氏:
 2010年に,「Xbox特命課」という一連のCMが展開されたんですよね。特命課の人達がいろんなメーカーに行って,人気ゲームタイトルをXbox 360にも出してもらおうと交渉するという内容で,「電脳戦機バーチャロン フォース」「モンスターハンター フロンティア」などが取り上げられたんです。そうやって頑張ってはいたんですけれども,やはりKinectの迷走あたりから諦めムードというか,そんな感じがあって。

「電脳戦機バーチャロン フォース」
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「Xbox 特命課」がマウンドに立つ。楽天対巨人戦にて「Xboxナイター」を実施

「Xbox 特命課」がマウンドに立つ。楽天対巨人戦にて「Xboxナイター」を実施

 CMでお馴染みのあの人がマウンドに立った! 5月21日,クリネックススタジアム宮城で行われた楽天対巨人戦で「Xboxナイター」が開催され,Xbox特命課の三人が登場した。来場者には,Xbox 360エリート バリューパックが抽選でプレゼントされるなどしたこのイベント。始球式を任された三六丸氏の投球の行方は?

[2010/05/24 13:21]

4Gamer:
 プレイヤーから見ていても,「ブルードラゴン」の頃のような勢いがなくなったように感じました。

松井氏:
 ファミ通Xbox360の編集部内でも,これはまずいぞと思っていたところに,2012年のホリデーシーズンに「Halo 4」が出ることが分かって,4月売りの6月号で大々的に報じたんです。「『Halo 4』が出るぞ!」って,表紙もバーン! と。
 でも,その号がすごく売れたわけでもなく……。むしろXbox 360が厳しくなっていることをあらためて実感させられたんですよね。社内でも,そのあたりからファミ通Xbox360をどうしていこうかみたいな話も出始めて,2012年8月売りの号が最終号となりました。そのあと「Halo 4」のリリースに合わせて,ファミ通Xbox360 2012年Winterを刊行して,それで終わりです。

「Halo 4」
画像ギャラリー No.017のサムネイル画像 / [インタビュー]Xbox 360発売から20年。専門誌の編集長だった松井ムネタツ氏が語るその魅力,伸び悩む国内販売に感じた歯がゆさ,そして終焉

4Gamer:
 会社側から休刊を告げられたときは,どんな心境だったのでしょうか。

松井氏:
 上司からは「続けるかどうか,お前が決めろ」と言われたんですよ。

4Gamer:
 そうなんですね。編集長が休刊を決断するというのは,なかなかできることではないと思いますが。

松井氏:
 当時は本当にジリ貧だったので……。休刊前の1年半くらいは,とにかく売上につながることなら何でもやっていたんです。Microsoft日本法人から依頼されて,店頭で配布するカタログも作りましたし,ファミ通本誌がやらないようなゲームや,Xboxと関係ないゲームの攻略本も作りました。「Xboxはシューターが得意だから」という,何だかよく分からない理由で,サバイバルゲーム好きの営業担当がエアガンのカスタムパーツを扱えないかと相談してきたこともあって。編集部としては売上になるなら何でも受け入れる体制だったので,もちろんやりました。
 2007年から2010年にかけては,「MIDNIGHT LIVE 360」という配信番組もやっていたんです。

4Gamer:
 かなり先進的ですね。

松井氏:
 当時のYouTubeはライブ配信機能が整っていなかったので,Ustreamか何かを使って,いろんなメーカーさんにご協力いただいて,ゲームなどを紹介しました。
 そうやって,あらゆる手を尽くしてはみたものの,最後はにっちもさっちもいかなくなり,ただただ赤字を垂れ流すだけの状況で「どうする?」と聞かれたら,もう休刊するしかないですよね。

4Gamer:
 その当時,まだXbox Oneの話は出ていませんでしたか。

松井氏:
 「そろそろ次世代機の情報が出るかな」みたいなことは囁かれていましたけれど,具体的な話はまだでしたね。

4Gamer:
 仮にXbox Oneの話があったとしたら,休刊の判断は先送りになったんでしょうか。

松井氏:
 いえ,変わらなかったと思います。もうXboxの専門誌は難しいだろうと考えていましたから。

4Gamer:
 当時の松井さんはXbox 360に対して,仕事の範疇を超えるような熱量を注いでいるように見えたのですが,その松井さんであっても「専門誌は難しい」と。
 先ほど松井さんからいただいた名刺は,白に濃い緑と黄緑を組み合わせた,Xbox 360風のデザインでした。そういったところからも,今なお思い入れが強いゲーム機だと思うのですが,Xbox 360の何が松井さんをそうさせたのでしょうか。

松井氏:
 Xbox 360は,ゲームから離れていた僕を,再びゲーマーに引き戻してくれたゲーム機なんです。もともとゲーマーだったのですが,雑誌作りのほうが楽しく感じるようになって,プライベートでゲームを遊ぶことが少なくなっていきました。それは初代Xboxのときも同じで,自宅に本体を置いてあっても,そんなに起動しなかったんです。
 でもXbox 360で「レインボーシックス ベガス」などをオンラインで遊ぶようになったら,すごく楽しくて,ゲーマーの自分を取り戻せた。もしもXbox 360ほどオンライン機能が充実していないプラットフォームの編集部にいたら,もうプライベートな時間をゲームに費やすことはなかったかもしれません。

4Gamer:
 恩人のような存在だったんですね。

松井氏:
 正直に言えば,たまたまXbox 360だったのだろうとは思います。でも,特定の時間にみんながXbox 360を介して集まり,「まずこのゲームで遊んで,今度はあのゲームを遊んで」みたいな,コミュニティのつながりがすごく楽しくて,夜通しで遊ぶこともありました。さきほども話しましたが,リテラシーの高い大人が集まっていましたから,すごく暖かい雰囲気でしたし。
 もしかしたらほかのプラットフォームでも同じ結果になったのかもしれませんが,僕にとってはXbox 360でしかできない体験だったんですよね。

4Gamer:
 それは確かに唯一無二のゲーム機ですね。本日はありがとうございました。

画像ギャラリー No.006のサムネイル画像 / [インタビュー]Xbox 360発売から20年。専門誌の編集長だった松井ムネタツ氏が語るその魅力,伸び悩む国内販売に感じた歯がゆさ,そして終焉
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    Xbox 360本体

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